お金にまみれた自分らしさ
先日、慶応のミスコンを主催する3つめの団体が現れたことがニュースで取り上げられていた。
これまで「慶応のミスコンが唯一1つで、
唯一1つの団体で運営されていた」という当然のような事実にも興味はなかったが、
なるほど歴史がありそうなミスコンというイベントが一つの団体で、長く運営されてきたのは、スンナリ受け入れることができる。
が、ニュースによれば、どうやら
数ヶ月前に唯一の慶応ミスコンを、もう一つ開催しようとする団体が現れた方ことが話題になったよう。
そして更に追い討ちをかけるように、
3つ目の団体が現れ、3つ目のミスコンが催されると話題になっていた。
歴史の浅いイベントが、複数団体で開催されるのはさして問題にならないだろうけれど、歴史があり、アナウンサーや著名人を何人も輩出してきた歴史のあるイベントであるから問題視されてしまうのだろう。
そして、この3つ目のミスコンは、これまでのミスコンと明確に異なる点があった。
これまでのミスコンの審査の中では、参加者がウェディングドレスを着て美を競ったりしていたので、従来の女性らしさを競っていく。
対して、3つ目のミスコンは、エントリーした時点で、ミスコンになれることが決定する。誰もがミスコンになれるのだ。
エントリー方法は写真や動画の提出だが、内容はエントリーしたい本人の自由だ。皆、好きなように自分を表現している。
そこには、美に順位をつけるのでなく、個人個人の自由さがNO.1とする考えが垣間見られる。
ニュース内では、3つ目のミスコンに応募した方々2名がインタビューされており印象的だった。
インタビューを受けていたニコニコと笑う女性が言っていた「みなさん、その生き方楽しいですか〜、と私は聞きたい。ありのままの自分を生きるのが楽しいと私は考えます」
と。
なんだかその笑顔は楽しそうだけど、
危うさを感じた。なんだか怖い感じがした。
世の中に出回ってる自由とか、
自分らしさとか、
その言葉の多くはなんだか不純だと言うような
感覚を得た。
多くの人が、
自由や自分らしさを追求する際に、
それらとお金稼ぎが1つになって、
どうしてもギラつきがちなんだろう。
だから、
世の中の多くの自分らしさは
金銭欲にまみれているように感じる。
純粋な自己の表現で
飯を食っていくのは中々に難しそうである。